自己プロデュース戦略でキャリアにハナをʕ๑•ﻌ•๑ʔアナウンサー教師ちかこ

【苦手な方のための表現力+キャリアup講座】 →記者仕込みの取材ノウハウ、ライティング技術。アナウンサー仕込みのスピーチ技術。加えて、作家仕込みのアイディア出し、度重なる転職活動から見出だした自己プロデュース戦略、新たな分野へ立ち向かう挑戦マインドなども。

教育のなかに演劇的要素を

「演劇」の授業の総仕上げとして、
勤務校の公演を観に行きました。

そこで、挑戦していたのが、
それぞれの「大好き」を
他者が演じるというものでした。

普段の生徒たちとは、全く違った側面が見られ、
衝撃的でした。

<演劇>というフィルターを通して
いつもの自分じゃない部分を出してみるって
とっても面白いことだなぁと気づかされます。

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子どもが生まれてからは、なかなか
劇場に足を運ぶことが遠のいてしまいましたが、
演劇好きです。

実は、絵本作家を目指そうと思ったのも、
演出家への憧れも影響しています。

キャストもストーリーも舞台も…
すべてが自分一人で創作できちゃう世界だったから。

学生時代、
演劇や映像、アニメ等…
その道の研究者や制作現場から招かれた講師陣の講義に
進んで出向きました。

履修届を出していないものもあったけど。
単位とか、ぶっちゃけどうでもよくて。

時には、早稲田の演劇の授業にもぐってみたことも(笑)

ちなみに、
専攻は人間科学という社会学+心理学のような総合学科
学んだことを一言でいうならば、
物事にはいろんな側面があって、それを

類は類を呼ぶ、ではありませんが
周りには演劇関係者も少なくありません。

脚本・演出・劇中歌を手掛けている友もいれば、
俳優として活躍している友…。

ちょうど、
学生時代からのファンで
平田オリザさんのもとで知人が
プロの劇作家として活躍しているのですが、
最近、読んだ本で
平田オリザ氏が演劇教育のことを語っていました。

教育のなかで演劇は有効である、と。

さて、私が小学校に勤めていた頃は、
児童文化研究会という、
演劇的要素・表現活動を普段の教育にも生かそう
というところで、
先輩方からたくさんの取り組みを吸収し、
自分でも体験し、学校に持ち帰って実践してきました。

特に、特別支援学級の子どもたちには
学習活動に生かせるものがたくさんありました。

そうそう。
去年の学芸会で観た6年生の劇は、
考えさせられるものでした。

「ももたろう」を題材にとって、
オニたち主役の反転物語。

オニたちは、「悪」とレッテルを張られ、
完全に市民権を失い、
かろうじて生きている完全なる敗北者。弱者。

ももたろうがオニを退治し、
宝物を奪ったという行動について
疑問を投げかけるストーリーが展開。

本の中で、
平田オリザ氏も言っていました。

「ももたろう」を扱うとしたら、
あれは悪いオニを退治してめでたしめでたしな話だと
そういう読み取りをするような授業ではいけないんだ
というようなことを。

これまでの日本の教育はどうも、
都合のいいように道徳観を押しつける読解を
させてきている、という分析でした。

たとえば、フィンランドでは、
こういう話を教材として扱うときに、
個々の読み取りを尊重し、
決して価値観の押しつけをしないといいます。

Aと感じる子もいれば、Bと感じる子もいる。
それでいい。

多様な価値観を認める教室で
自分と違う価値観を持つ子がいることに気づき、
自身の考えをブラッシュアップしていくんですね。

日本でも、個を尊重するようには言われてきていますが…
まだまだ、出る杭は打たれる風潮が強いのではないでしょうか。
教師側も集団を統率するなかで、
どうしても協調性を重視する傾向がありませんか?
歴史的背景、国柄もあるかと思うのですが。

また、オリザ氏の著書の中でこんなことが書かれていました。
表現をするということはリスクと責任が伴う

お笑いもそうですが、
表現は、誰かを傷つける危険要素をはらんでいます。

誰かを傷つけることも覚悟で、
そのデリケートな部分を表現するのだとすれば、
どのような表現方法をするのがよいか。考え、選ぶ。
リスクも受け止めて、発信する。

 先程の「ももたろう」のように、
一側面だけではなく、それぞれの立場から考える。

古いタイプの指導者は
「役になりきろう」と子どもに教えるけど…と
それにも疑問を投げかけていました。

「その立場の役を演じるときのジブン」を想像し、
自己と真剣に向き合うというプロセスこそが大事

個々がそういうワンクッションを経験し、
意見を持ち寄り、みんなで劇を作っていく。

時には、話し合いで意見がぶつかることもあるかもしれないけど、
そういう時間を共有し、作り上げていく。

いわゆる、発表するための演劇ではないのですね。
「保護者に見せるために練習している」お遊戯会じゃない。

小学校にいると、毎日同じ…ということはなく、
ごくささいなことで子ども同士が衝突する場面は
多々あることです。

利害関係に関わる課題ばかりの日常でも、
別の立場だったら…と考える演劇的手法を
経験しておくことが役立つはず、と。
多角的に物事を考えて、全体像を捉える。

そのうえで、想定されている場面で
ジブンだったらどういう行動をするのか。
なぜ、そう考えるのか。

演劇・表現は、道徳の授業でも生かせますね。